日本のコマ撮りアニメーション 平成〜令和(2000年代編 前半)

2000年
80年代とは異なる自主制作アニメーションブームのようなものが起こります。
その話題になると必ず挙がるのがNHK「デジタル・スタジアム」。この番組は10年ほど続くことになりますが、それまで地道に制作をしていた個人や学生が多数投稿参加し、キュレーターによる作品紹介を受けました。もちろんコマ撮りに限るものではなく、手描きやCGなど多種多様な作品がありました。SNSなどまだない(個人ホームページの時代)中で、映像サークルや上映会に参加していない人からすると他のクリエイターを自分の身近に感じられる貴重な番組だったと思います。
また、自主制作をしている人たちがテレビを通じて視覚化された事で、自分でも作ってみようと考えた人が増えたと思います。それを支えたのは90年代末期のパソコンの一般化と性能の向上、学校教育でのADOBEソフトウェアの技術教育が間違いなくあると思います。

パソコンでいうと神戸芸術工科大学研究生の入江彰彦さんが「ピース!」というクレイアニメーションでデジタル・ダ・ビンチCGCMグランプリの準グランプリを受賞。その際に使用したのはPower Mac G3/350。使用ソフトはADOBE。撮影はデジタルビデオカメラとのこと。
そして、2000年代前半を代表すると言っても過言ではない人形アニメーション作品が登場します。村田朋泰さんの東京藝術大学卒業制作「睡蓮の人」です。独居男性の生活を丹念に描いたこの作品は、美しい光の表現もとても印象に残る作品でした。建物の造形のクオリティにも目を見張るものがありました。そのインパクトはかなり大きく、この先の何年もの間、村田さんの作品に影響を受けたり、村田さんから学ぶ人たちが登場していきます。また、「睡蓮の人」は民放の情報バラエティでも取り上げられており、学生作品が深夜番組で取り上げられているのを驚きをもって見ました。
同じタイミングで藝大から輩出された奥田寛さんの東京藝大大学院修了制作「Vegetable RESTAURANT」野菜をモチーフにしたアクション作品で、特にナスのキャラクターが乗ったバイクによる球体サーカスはどのように撮影したのかとてもクオリティの高い作品だったと思います。

一つだけコマーシャルで挙げたいのはうるるとさらら」ぴちょんくんのキャラクターアニメーションは真賀里文子さん。透明な人形造形は小前隆さんが制作。

ちなみにこの年、コマ撮りアニメーションのアシスト機器である「ランチボックス」の2代目が登場。しかし高額すぎて趣味で制作する人や学生にはとても手が出せませんでした。私がコマ撮りを始めたのがちょうどこの年ですが、当時はデジタルカメラが数百万画素で何十万円もする代物だったので、値が下がっていたデジタルビデオカメラを用いて数秒ずつ録画したデータをパソコンで1コマや3コマなどに圧縮してAfterEffectsで並べる方法で制作していました。前コマの確認は当然出来ないので、目視の勘で撮影していました。
自分が知った時期よりもリリース時期が断然先だと思うので、いつリリースされたかはっきりと把握していませんが、02年にはパソコン上でコマ撮りを管理する「i StopMotion」を少し使った記憶があります。
付け加えると、プロの現場では90年代の時点でパソコンを利用したビデオアシスト機能自体は存在していますし、川本さんの「李白」でもアニメーターの峰岸さんが別の方法で模索したそうです。
目安棒を使いながら目でコマ撮りをするのは今でも続いていますが、撮影中の前コマの確認が出来るようになってからもう30年以上経ちます。フィルムの時代は難しかった確認作業は、ビデオ、デジタルに移り変わる中でより見やすく進化していきました。

2001
NHKプチプチアニメで、イタリアで活躍されている湯崎夫沙子による「ナッチョとポム」の放送が開始されます。
村田朋泰さんが大学院に進学し、ロボットが主役の人形アニメーション作品オモヒデ」を制作。
この年に全国の大学のアニメーションを集めたインター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル(ICAF)がプレ開催され、翌年から毎年開催されていきます。これにより各々がバラバラに制作していた学生アニメーションを一つの場所で一挙に見る事が出来るようになり、学校や学生間の作品交流が起こるようになりました。
多摩美術大学の坂井治さんが制作した切り紙アニメーション「月夜の晩餐会」は切り絵の動物たちが曲に合わせて踊るように動くアニメーションで、透過した色合いが美しい作品でした。

プロの作品では伊藤有壱さんがNHKみんなのうた「ひよこぶたのテーマPART2」(歌:COCCO)や3Dハイビジョン・クレイ・アニメーション「The Box」を発表。加えて、紀里谷和明さんが手がけた「traveling」(歌:宇多田ヒカル)のMVでもコマ撮りパートを担当、強い印象を残します。さらに短編映画「ピカチュウのドキドキかくれんぼ」のエンディングのクレイアニメーションも担当。そこにはおーのもときさんやこぐまあつこさん他が参加。美術制作は『Sui.inc』。

60年代のロシア・アニメーション「チェブラーシカ」がミニシアターで公開。チェブラーシカ自体の可愛らしさに加えて、コマ撮り=かわいいの流れの中で大きな話題になりました。

昼間行雄さんの入門書「ファンタスティックアニメーションメイキングガイド」が発売されました。ただし、まだこの頃はそういった指南書が発売されてもそれを知る術が今より圧倒的に少なかったです。

2002
「カタクリ家の幸福」(監督:三池崇史)の冒頭でキムラヒデキさんがアニメーションを担当。実写映画の中で使われたコマ撮りでした。叫ぶ女性が人形に変化する驚きの場面です。
村田朋泰さんがNHKプチプチアニメで「ポンユタウン」を発表。ただ、この年の村田さんは春先の東京藝術大学大学院修了展で発表した「の路」が、「睡蓮の人」に続いて強烈なインパクトを残しました。当時の会場で多くの人が上映に見入っていたのを記憶しています。劇中に登場した水牛車も展示してあったと思います。
上乗直子さんの「山崎係長解放戦線」(日本大学芸術学部)という作品も印象深かったです。そのほか、現在ウェールズで「Kotatsu Japanese Animation Festival」を開いているメレディス・英子さんが広島市立大学の修了制作で「Study! Study?」を制作。

佐川急便「イーコネクト」のCMを伊藤有壱さんが監督。アニメーションは峰岸裕和さん。クレイ人形制作はこぐまあつこさん。

この頃はコマ撮りについて語られている書籍が多くありませんでしたが(まだインターネットが今ほど万能ではない)「アートアニメーションの素晴らしき世界」という本で、チェブラーシカやウォレス&グルミット、ピングーなどのキャラクターの紹介だけでなく、日本や海外のコマ撮り作品・作家に対する知識を得る事が出来ました。(それでも人形関節の作り方や撮影方法を簡単に知ることはまだまだ難しかったです。)
個人的な事として私がアニメーションを学ぶ方法として選んだのは98年に発行されたCreating 3-D Animation」<洋書>と2000年に発行されたアードマンの映画「チキンラン」のメイキングブック<洋書>でした

2003
川本喜八郎さんが、松尾芭蕉が名古屋の俳人と行った連句(芭蕉7部集第1集)を使用した作品「冬の日完成させます。この作品には国内外のアニメーション作家が川本さんの呼びかけで参加したので、クレイを用いた石田卓也さん、森まさあきさん、湯崎夫沙子さん。人形を用いた保田克史さん、伊藤有壱さん、浅野優子さんらの作品を見る事が出来ます。また海外からはコ・ホードマンさん(カナダ)、ブジェチスラフ・ポヤールさん(チェコ)、ユーリ・ノルシュテインさん(ロシア)など川本さんの幅広い交友関係の中から多くの作家が参加しています。

真賀里文子さんは青森県航空科学館の「ミス・ビードル号の大冒険」を完成させます。真賀里さんの多くの作品にはお弟子さんにあたる野中和隆さんがアニメーターとして参加されています。

この年は思い返すと結構色々な出来事があった年でした。
村田朋泰さんがMV「HERO(曲:Mr .Children)を完成。「朱の路」に登場したキャラクターが冬の世界に登場します。楽曲の世界にマッチした作品は大きな話題になりました。人形アニメーションの学生制作が人気絶頂期のバンドと言わばコラボするような事はこれまで無かったのではないかと思います。
そして当時、村田さんの後輩にあたる東京藝術大学の学生だった青木純さんが、小柳祐介さん、恵土敦さん、八山健二さんと「ホーム"PLATFORM"、~Japanese mad subway~」という人形アニメーションを制作。電車が到着したプラットホームでサラリーマンが大乱闘する、激しいカメラワークとアクションの息をつく間もないアニメーションは圧倒されるものがあります。青木さんや小柳さんはその後、人形アニメーションを多作していきます。
武蔵野美術大学から田中紫紋さんの新聞を使って制作した「新聞史」、藤井亮さんのクレイアニメーション「ROUND99」がありました。
学校関連ではさらに東京工芸大学と東京造形大学でアニメーション教育が始まりました。
ICAFの発展もあり、大学でのアニメーション教育の規模がどんどん大きくなっていきます。そこに寄与していたのは先に記した80年代の元学生であるIKIF木船徳光さん:指導/東京造形大学、石田園子さん:指導/東京工芸大学)や小出正志さん(指導/東京造形大学)。上映会を行なっていた「グループえびせん」の片山雅博さん(指導/多摩美術大学)。陣内利博さん(指導/武蔵野美術大学)や、アニメーション作家の古川タクさん(指導/東京藝術大学、指導/東京工芸大学)といった方々です。
多くの出来事が起きたように感じるのは、やはりプロの仕事に加えて大学発のアニメーションが活発になってきたためだと思います。
そしてアニメーション専攻領域が出来たばかりの東京造形大学からは坂元友介さんの「歯男」や沼口雅徳さんの制作したMV「浅草キケン野郎〜泣くな!恋の鉄砲玉〜」(曲:百怪ノ行列)などが制作されました。

コマーシャルの世界ではミスタードーナツの「ポンデリング」を伊藤有壱さんが手がけます。そこにアニメーターとして参加されている垣内由加利さんはこれまで数回名前を挙げていますが『(株)白組』を経て97年に独立した方で、それまでも「シルバニアファミリー」のコマーシャルなどに携わっていました。
中島信也さんが監督をしたパナソニック乾電池のCMは、並べた乾電池で人の形を作り、それを動かしていくという手間暇のかかるものでした。
劇場アニメーションなどで知られる『(有)ユーフォーテーブル』(2000年設立)はクレイアニメーション部門を社内に設置しており、「住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」のエンディングをカットアウトで制作。制作は大堀久美子さんと永田武史さん。
NHKみんなのうたでは『円人』の手掛けた「りんごのうた」(歌:椎名林檎)が異彩を放ちました。

さらに一つ大きな事がありました。
東京都写真美術館で「絵コンテの宇宙ーイメージの誕生」展という展覧会が開催され、そこで合田経郎さんが産み、峰岸裕和さんが命を吹き込んだ「こまねこ」が実演(コマ撮り撮影風景をそのまま展示する)されました。そしてこの年に現在でも日本のコマ撮りアニメーションを牽引する『dwarf(ドワーフ)が設立されます。この時は合田さんお一人の会社でした。

加えて、人形関節(アーマチュア)といえば小前隆さんのお名前が筆頭に挙げられるのですが、現在様々なアニメーションの現場に関節を提供している川村徹雄さんのウェブサイト「Tetsu's armature」が開設されたのもこの年。作る事の難しい人形関節が購入出来るようになっていきます。
もう一つ。アニメーションのアシストソフトとして『(株)セルシス』が「CLAYTOWN」を発表。監修は伊藤有壱さんと「おしりかじり虫(2007年に発表)のうるまでるびさん。オニオンスキンなどの機能が搭載されたWindows用ソフトは小麦粘土も付属していて、購入すればデジタルカメラと連動してすぐにコマ撮りができる優れものでした。
このように学校教育に加えて、一般家庭でもコマ撮りチャレンジが出来るような土台がやや確立していったと思います。

2004
まずは学生の動向から。
テレビ朝日「報道ステーション」が始まり、そのオープニング映像を武蔵野美術大学を卒業したての田中紫紋さんが手掛けます。田中さんは前年の「新聞史」が上映会やメディアで取り上げられたことで、この番組のオープニング映像の話が来たとの事。これも村田さんの「HERO」MVと同じく、学生作品から派生した大きな仕事という衝撃がありました。
東京藝術大学では青木純さんがコマ撮り作品「テレビ」の他、手描きアニメーションも含めて作品をたくさん制作していました。多摩美術大学大学院からは(自作ですが)「鬼」。青木さんたちが前年に制作した「ホーム」、私の制作した「」は第10回広島国際アニメーションフェスティバルで上映されました。
広島の開催は2年に1度でしたが、他にもユーリ・ノルシュテイン大賞(2000年から/ラピュタ阿佐ヶ谷)や東京アニメフェア(2002年から/主催:東京都)など登竜門的な映画祭が多々あり、それをインターネットで調べられるようになっていました。関西では02年から「BACA-JA」も始まっていました。
加えて、まだデジタル・スタジアムで数多くの若手クリエイターが発掘されていたり、東京アニメフェアでは03年からクリエイターズワールドを設置。新興の会社や個人がビジネスチャンスを求めて出品。そこには2D、3Dコマ撮りなど色々な分野の方が参加していました。
*ノルシュテイン大賞では奥田寛さんの「Prisoner」や富永まいさんの「ブスタマン」、村田さんの「睡蓮の人」、青木さんたちの「ホーム」、自作の「鬼」も紹介されました。
*東京アニメフェアは現在東京アニメアワードフェスティバルとアニメコンテンツエキスポに分離しています。

これまで登場した方々の活躍も続いています。伊藤有壱さんはMV「キミはトモダチ」(曲:平井堅)を、森まさあきさんはNHKみんなのうたで「サイボウの不思議」(歌:テツ&トモ)を手掛けます。他にも森まさあきさんは任天堂ゲームキューブの「ピクミン2」のコマーシャルでクレイアニメーションを担当。
NHKでは『いないいないばあ「あっちーとがーお」』を荒井牧子さんが制作。撮影と照明はヒロアニメーションスタンド。

2005
川本喜八郎さんが遺作となる「死者の書」を発表。アニメーターとして、川本さんと長い仕事の付き合いのある及川功一さんと内藤楊子さん。そして森まさあきさん、中島史朗さん(キユーピー「たらこキユーピー」など)、田村香織さん(「the MOLE」)。さらに当時の若手として井上二美さん、森田幾太郎さん、奥津広美さん、稲積君将さん。加えて私。人形制作に岡本忠成作品の人形を数多く手掛けてこられた保坂純子さんも参加。撮影には田村実さんや伊丹邦彦さんなど。川本さん曰く「80代から20代まで」の年齢経験様々なスタッフが集い、多摩美術大学のメディアセンターを使用して2004年に撮影されました。川本さんは撮影の最中に80歳になりましたが、一度も休むことなく、万が一で用意していた休憩用の簡易ベッドを使うことなく、誰よりも精力的に働かれていました。

仕事をしながら『彩工房学んでいたオカダシゲルさんがテレビシリーズ「モンチッチ」のアニメートを行います。オカダさんは『パペットBOX』というホームページを開設され、自らが学んできた技術を惜しげも無く開示。そこから未知なる領域というイメージがまだ続いていた人形制作や撮影方法を学んだ人も多かったと思います。オカダさんの経歴は後述する「コマコマ隊コマドリル」の記事が詳しいです。
また、シリーズ物としてはこぐまあつこさん、キムラヒデキさん、土田ひろゆきさん、石田卓也さんが制作した「クレイアニメ太鼓の達人」も発表されました。こぐまさんは森まさあきさんのお弟子さん。キムラさんは野村辰寿さんの「ジャム・ザ・ハウスネイル」のスタッフでもありました。
コマーシャルでは真賀里さんのNTTdocomo「ドコモダケ」が印象深いです。
NHKプチプチアニメではかわいとしひこさんの「ももんがぁモン」の放送が開始。「死者の書」終了後に中島史朗さんや稲積さんが携わっていきました。

学生作品では青木純さん「コタツネコ」や、多摩美術大学の洞口祐輔さんが制作した「ナンプル」。洞口さんは村田さんに学んだ一人です。この辺りでワッとコマ撮りアニメーションが増えていくかと思いきや、まだ数が増えていったという印象はありません。学校や自宅でも撮影が出来るようになってきていたとはいえ、まだ手頃ではない分野でした。

さて、個人作品として栗田やすおさんの「緑玉紳士」が04年に完成、この年に上映されます。栗田さんがパイロット版にあたる作品「RED SLOTMACHINE」のビデオを各方面に配布した結果、石井克人*さんの作品などを手掛けていたプロデューサーの滝田和人さんの目に留まったことで制作がスタートしたそうです。作品の長さは1時間に満たないものの、劇場公開された個人作品ということでとても記憶に残っているとともに、「たった一人で、4年半をかけて」という様々な媒体で見たコピーは、コマ撮り作品や個人制作が紹介される時に頻繁に使われる「個人、独学、制作○年」という文言のはしりだったように思います。
あと、もう一つ挙げておきたいのはワタナベサオリさんの「Pudding in the sea」。この時はまだ学生ではなかったワタナベさんは後年、数々のコマ撮りを使用したコマーシャルなどを監督していくことになります。ワタナベさんの師は稲積さんだそうです。
*CMディレクター、映画監督として知られる石井克人さんですが、若手時代にプリンセスプリンセスの楽曲「POWER」のMV内のコマ撮りパートを担当。

<2000年代前半に関して>
90年代中盤から後半にかけて、当時から仕事をされていた方の印象としてはコマ撮りがCGに移り変わっていくという「絶滅期」を過ごしたそうですが、00年代からコマ撮りを始めた人たちにとってはむしろ発展の時代でした。アナログからデジタルに移り変わる中で、現在に比べれば圧倒的に低スペックとはいえパソコンで映像が編集出来るようになった事が、映像・アニメーション制作に挑もうという気持ちに火をつけたと思います。
また前述の通り、大学内でアニメーション制作が活発になった事。それも学内・学外サークル活動の集団制作ではなく個々に作り、課題で発表するようになっていった事がとにかく学生作品数の爆増につながったと思います。
さらに作品を卒業制作展で発表すると映像関係の方の目に留まるという好循環が生まれました。加えてインターネットの発達で大小問わず映画祭という作品発表の場が調べやすくなったも作品が外に広がっていくきっかけになり、仕事につながっていったと思います。
ただし自主制作が盛り上がっていたという印象はありますが、仕事の数が減っていたとすれば業界的には危機だったのかもしれません。
個人的には2004年の香取慎吾さんが出演していたコマーシャル「明治製菓ミルクチョコレート チョコレートの世界 『いつでも、どこでも』編」(監督:辻川幸一郎)でCGで表現されたチョコレートの映像について、2005年1月の「広告批評」にクレイアニメと書かれていたのを見た時、コマ撮りはこれから厳しいかもと思いました。
同時期に「ウォレス&グルミット」初の長編「野菜畑で大ピンチ」がありましたが、捕獲機に捉えられて宙に舞ううさぎをCGで制作し、クレイに見えるように“指紋”まで表現したという話を聞いた時に、それはどうなのだろうと思ったものです。

そして大事な事は2000年代初頭に学生作品が増えたとはいえ、その内訳は手描きやモーショントゥイーンを利用したデジタル切り紙作品などが多く、コマ撮りが多かったとは全く言えない事です。
しかし村田朋泰さんを筆頭として、このあたりで自主制作を始めた大学卒業生が主に2010年代以降のコマ撮りの仕事に広がりを作っていく事になります。
*この頃に自分自身が本格的にこの世界に足を突っ込んでいったのでかなり主観的な記録です。当時の印象としてお読みください。*モーショントゥイーンが多かったのはAfter Effectsで画像の移動や回転が出来て面白いという感覚になりがちだった(自分自身を含む)ことも影響しているかもしれないです。