日本のコマ撮りアニメーション 平成〜令和(2000年代編 後半

2006
2003年に「絵コンテの宇宙ーイメージの誕生」展で「こまねこ」の実演を行った『dwarf』が、今度は「コマ撮りえいが こまねこ」を制作。人形を用いたアニメーションと、半立体のアニメーションの2つで構成された作品でした。監督は合田経郎さん。アニメーターとして峰岸裕和さん、大向とき子さん、野原三奈さん。さらに若手の土田ひろゆきさん、奥津広美さん、根岸純子さんが参加。前年に川本喜八郎さんが完成させた「死者の書」同様、ベテランと若手の混成チームでした。こまねこの現場の特筆するべき点は、まだライブカメラがコマ落ちするような時代にも関わらず制作の様子をインターネットで公開した事。さらにブログなどで日々制作の様子を更新していて、コマ撮りをより身近に感じられるように出来る限りの工夫をされていたと思います。加えて、作品完成後に刊行された「しろうとトヨムラのこまねこ現場レポート」は今でもコマ撮り制作を志す方は必見の一冊です。*ただ一般流通はもうしていないようなので、見つけたらぜひ。
この時にまだアシスタントだった根岸さんは、近年ではドワーフの数多くの作品を支えています。
また、合田さんと峰岸さんのコンビはこの年、NHKみんなのうたで「ぼくはくま」(歌:宇多田ヒカル)を発表しています。実は同じ月のその裏で私が制作した「いらっしゃい」(歌:倍賞千恵子)も放送されていました。

NHKでいうと、2022年に亡くなられた「できるかな」ののっぽさんこと、高見のっぽさんが登場する「グラスホッパー物語」を伊藤有壱さんが前年12月に制作。06年1月まで放送されました。グラスホッパーシリーズは07年に「ハーイ!グラスホッパー」、09年に「グラスホッパーからの手紙 ~忘れないで~」がそれぞれ制作されています。
学生アニメーションでは越後屋みゆきさんの「Fluffy」というフェルトで出来た可愛らしい作品がありました。

コマ撮りとコマーシャルの関係性は深いですが、博報堂から独立し『プロペラ』を立ち上げたクリエイティブ・ディレクターの内藤まろさんがMTV向けに「ステファン」という、ロボットが登場するアニメーションを制作。同年、内藤さんが手がけた月桂冠のコマーシャルソングを歌ったコトリンゴさんのデビュー曲「こんにちは またあした」のMVもコマ撮りでした。
音楽関係で忘れてはいけないのはBUMP OF CHICKENの「人形劇ギルド」。このアニメーションを手掛けたのはオカダシゲルさんです。
他に、野村辰寿さんと私で共同監督をした「ハイウェイスター」(演奏:栗コーダーカルテット)や、島田大介さんの『コトリフィルム』が制作した「Crazy for you」(歌:chara)がありました。

さらに変わった手法として、ナガタタケシさんとモンノカヅエさんによる『TOCHKAが、光の光跡を利用したアニメーション「PiKAPiKA」で第10回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の優秀賞を受賞しています。ナガタさんは『ユーフォーテーブル』にいた永田さんです。2003年の項で紹介

さて、この頃、チェコアニメ新世代という、チェコの若手アニメーション作家の作品が日本で多く紹介されており、それに関連があったのか分かりませんが、当時放送されていた「世界ウルルン滞在記」で俳優の阿部サダヲさんがチェコのプラハで人形アニメーションに挑戦するというのが放送されました。
この頃は微妙に芸能界でもコマ撮り自体が流行っていたのか、前年の2005年には『TVチャンピオン』で「クレイアニメ王選手権」(チャンピオンははしもとまさむさん)があったり、2007年には吉本興業の「YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 」でもコマ撮り作品がありました。

教則本としては田中望さんの「クレイアニメーションを作ろう : パソコンでチャレンジ! クレイアート コマ撮り」という本が発売されています。
そして書籍で言うと、持永只仁さんが亡くなって7年のこの年に、持永さんの自伝にあたる「アニメーション日中交流記―持永只仁自伝」が発売されました。持永さんが辿った数奇な人生が凝縮された一冊です。

2007
この年の7月、YouTubeに日本語版が登場(日本語対応)。それまで以上に動画サイトの存在が大きくなっていきます。そして海外作品ですが、PESのWestern Spaghettiという作品が今でいうところの大バズりを見せます。食材ではない別の素材を駆使してパスタ料理(のようなもの)が出来るまでを描いたコマ撮り作品ですが、10数年経った現在でもそれを模した作品や、この作品の影響を受けた作品をさらに参考にした作品が多数インターネット上に上がっているのを目にします。
加えて、海外版のSONY「BLAVIA」のネットコマーシャル(クレイで出来たうさぎ)も話題になりました。
日本発では、ていえぬさんのスプラッター・クレイアニメーション「チェーンソーメイド」が記憶に残ります。

動画投稿といえばそれまでもFLASHアニメーションやニコニコ動画も流行っていましたが、やはりYouTubeの台頭は時代を変えた印象があります。また、日本国内で言えばmixiの時代でもあったと思います。SNSで作品情報を共有しあう環境が整ってきており、ビデオを渡すとかDVDを渡すという時代が終焉を迎えつつありました。また、デジタルカメラの性能が上がり、テープではなくSDカードでデータを保存するようになり、コマ撮りの撮影スタイルが変化。Mini DVテープもその役目を終えつつありました。

さて、コマ撮りの色々です。
NHKでは中西義久さんが手掛けたプチプチアニメ「白い本」。みんなのうた「じーじのえてがみ〜グランド・ファーザーズ・レター」(歌:上野樹里)はこぐまあつこさん。
また、この年から2011年頃まで、当時フジテレビで放送されていた「SMAP×SMAP」の番組タイトルを、依頼を受けたクリエイターが作るという番組「ベビスマ」が放送されており、様々な分野のクリエイターが登場。コマ撮り作品ももちろんありました。MVでは「情熱 A Go-Go」(曲:ウルフルズ)がピクシレーションを用いた作品でした。

大学からは多摩美術大学から大石拓郎さん、洞口祐輔さんによる「To Tomorrow From Tomorrow」。大石さんは現在『Lunch Box Studiosを主宰。コマーシャルなどの分野で活躍中です。
大事な事として、阿佐ヶ谷にアート・アニメーションのちいさな学校が開校しました。手描きアニメーションとコマ撮りを学ぶことが出来る学校で、真賀里文子さんが校長を務めました。

個人制作としては沖縄の比嘉兄弟によるSF特撮「鉄の子カナヒル」。32分の作品で9年掛かりで完成させたそうです。
ところでコマ撮りは決して関東や関西だけでなく全国で作られています。時間は遡りますが、1999年には大阪の『オープン座セサミが人形アニメーション制作を開始。2000年には同じく関西でヨシムラエリさんが『アニメーションスープを、2003年には北海道の斉藤栄子さんがキュウイフィルムを設立しています。

コマ撮りを専門的に制作する会社の設立も少しずつ増えていきます。伊藤有壱さんに師事した長井勝見さんが代表を務める『株式会社スタジオプラセボの設立がこの年。『スタジオプラセボ』は14年に錦織毅さんの『キャラクターアニメーションスタジオ株式会社』と合流します。

加えて、教本として「映像+01映像制作の最新現場マガジン 人形アニメーションの現場」が発売されました。『(株)白組』の作品紹介などに加えて、オカダシゲルさんの技術が余すところなく図解されました。この本を元にアニメーションに挑戦された方も多いのではないでしょうか。その点でのオカダさんの功績は極めて大きいと思います。人形関節の作り方のページには川村徹雄さんの丁寧な解説が記されています。

2008
東京造形大学アニメーション専攻から新鋭が登場します。現在キューライスとして漫画界で活躍する坂元友介さんの作品「蒲公英の姉」。坂元さんはそれ以前にも様々にアニメーションを作っており、コマ撮りでも才能を発揮されました。同年の大学関係だと東京工芸大学アニメーション学科から山城智恵さん、本田愛さんの「おじいのサバニ」。祖父の死の物語ですが沖縄の風土を表現した柔らかく優しい作品でした。坂元さん、山城さん、本田さんは学校は異なりますが森まさあきさんの指導を受けた学生です。*坂元さんは2003年に「歯男」というコマ撮りの作品を発表。
もう一つ面白い作品でいうと、武蔵野美術大学の岡本将徳さんの切り紙アニメーション「パンク直し」。ただパンクを直すだけなのですが、切り紙で丁寧に表現された工程につい見入ってしまいます。
そして大きな出来事として、東京藝術大学に大学院(映像研究科アニメーション専攻)が設立されました。現在でも多くの作家、アニメーション制作者を輩出する、大学院でのアニメーション教育が始まりました。ストップモーションアニメーションの指導は伊藤有壱さんです。

コマ撮り関連ではNHKで「みいつけた!いすのまちコッシー」の放送が始まります。可愛いキャラクターたちが今でも人気です。制作は『qmotri』(この時点では有限会社シーオーコンセプト)。潮永光生さんの会社です。
同じくNHKではみんなのうたで坂井治さん監督、上乗直子さんアニメートした「PoPo Loouise」(栗コーダーカルテット&UA)が美しい映像でした。
さらにNHKでは星新一さんのショートショートをアニメーション化した番組を放送。その中でも井上仁行さんが主宰する『パンタグラフ』*が「おーいでてこい」「博士とロボット」などを制作しました。パンタグラフは現在は立体ゾートロープなどを積極的に制作されています。
あと、インターネットでは海外からPatrick Boivinさんトランスフォーマーの室内の戦いなど、卓上や室内でフィギュアを使ったハイレベルなコマ撮りが話題になりました。
*『パンタグラフ』自体は1998年に設立とのこと。

2009
アメリカのポートランドに『スタジオライカ設立されたり、ウェス・アンダーソンさんが「ファンタスティック・MR.FOX」を監督した年です。コマ撮りの技術革新どんどん進みます。

日本ではNHKプチプチアニメに『スタジオプラセボ』の「エディ・ザ・ファーストブレイク」が登場。同じく『スタジオプラセボ』が制作した森永製菓チョコボール(キョロちゃん)のコマーシャルのクオリティは素晴らしかったです。
コマーシャルで言えば「はちみつきんかんのど飴」を『dwarf』が制作。アニメーターは峰岸裕和さん。その『dwarf』は同年「こまねこのクリスマス~迷子になったプレゼント~」も発表しました。
そして、映画こまねこの現場で「現場レポート」を描いていたトヨムラカオリさんは「東のエデン」のエンディングアニメーション(企画・演出:春山DAVID祥一さん)を作りました。

短編の界隈の話題はこのような感じです。
村田朋泰さんは08年に「檸檬の路」09年に「家族デッキ」と、継続的に作品を制作。
京都在住の中田秀人さん『ソバットシアター』は「電信柱エレミの恋」を制作。制作には8年を費やしたとのこと。
動画サイトでは土田ひろゆきさんの「LEGO ANIMALS」。

そして学生作品ではアート・アニメーションのちいさな学校から崎村のぞみさん、宮崎奈穂さん、野田美波子さん、飯田裕司さんによる「豹」青柳清美さんの「蛇が泣く」や、高野真さんの境目のある世界」。
日本大学から宮島由布子さん「落ち葉掃きの人」。崎村さんや青柳さんは造形の仕事など、コマ撮り業界で活躍中。高野さんは後に『moogabooga』を結成します。宮島さんも現在『アトリエコシュカでアニメーション制作や造形制作を行なっています。
さらに九州芸術工科大学から、動画サイトで大好評を博した「オオカミはブタを食べようと思った」が登場。作者は現在コマドリストとして活躍中の竹内泰人さん。この作品は2017年にBACA-JAで受賞していますが、ここではネットで話題になった年を優先。
同年には武蔵野美術大学大学院に進学した後の作品として「ぐるぐるの性的衝動」を発表。こちらもコンペで話題になりました。

<2000年代後半に関して>
やはりインターネットの時代になってきたと言えるのではないかと思います。ニコニコ動画、Youtube発信の作品が話題になり、それを模した作品がまた盛り上がる。そしてそれをメディアが取り上げて・・という、現在の流れが出来上がっていったと思います。
一方で、Mini DVテープはその役目を終えたと言っていいと思います。使用していた身とすると一瞬の灯火だったという印象です。最後はハイビジョン用のテープも購入しましたが使わずじまいでした。
さらに『作品のDVDを焼く』という事も徐々に減少し、データでやり取りするようになっていった時代です。
その恩恵をコマ撮り製作者は受けたと思います。制作のプロセスがインターネットで発信されるようになり、わからなかった技術が知れるようになりました。SNSを通じて同じ制作者同士が交流を持つ事もありました。VHSテープからDVD、そしてデータ送信と変化したことで映画祭への応募が少しずつやりやすくなりました。
ただしまだ一般の人たちがこぞってコマ撮りで遊ぶような時代とは言えなかったと思います。まだ、動画サイトにアップされるプロや趣味の延長ですごい作品を作る人の作品を感心しながら見るという時代だったように感じます。

あと個人的見解ですが、2008、2009年頃から3DCGソフトの「ZBrush」の名前を聞くようになった気がします。(もちろん人によってはもっと前から使用していたと思います。)どことなく3Dも勉強しなければいけないのでは?という空気がこの辺で漂っていた印象があります。

仕事については現在も同じですが、やはりコマーシャルやMV、NHKの教育番組などに支えられている面は大きいです。また、特に書きませんでしたがベネッセなどの幼児教育関係の仕事がコマ撮り業界を支えていると思います。