日本のコマ撮りアニメーション 平成〜令和(2010年代編 半)

2010
現在の撮影現場では最もポピュラーなコマ撮りソフト「Dragonframe」の旧バージョン「Dragon Stopmotion」の日本語版が登場しました。これにより徐々にランチボックスの時代が終焉を迎えていきます。
そして布山タルトさんが開発に携わった「KOMAKOMA」も登場。「KOMAKOMA」は簡単な操作で気軽にコマ撮りが出来るウェブアプリとして、ワークショップなどで現在でも活用されています。
指南書としては井上仁行さん(パンタグラフ)の「造形工作アイデアノート」。コマ撮りのみならず、セット造形などに役立つ情報が盛りだくさんでした。今でも書店やネットで見かけたら是非購入をお勧めします。もう一つ、オカダシゲルさん、川村徹雄さん、小林正和さん、船本恵太さんによる「Adobe Premiere Pro・After Effectsでクレイアニメ&人形アニメを作ろう!」もありました。

さてこの年の気になったいくつかの作品を挙げます。
NHKプチプチアニメで村田朋泰さん「森のレシオ」、同じくNHK星新一ショートショートで井上仁行さん(パンタグラフ)「無料の電話機」。
短編アニメーションでは切り紙作品の鋤柄真希子さんと松村康平さんによる「雪をみたヤマネ」。
竹内泰人さんの制作した「魚に似た唄-a song like a fish-」は実物以上の大きな造形物を動かした作品。楽しいけれど大変そうです。
MVでは土田ひろゆきさんが手掛けたスマイル」( 歌:miwa)。アニメーターとして土田ひろゆきさん、野原三奈さん、トヨムラカオリさん。人形制作に阿彦岳さんと阿彦よし子さん。
学生アニメーションからは東京藝術大学大学院の秦俊子さんによる安息の場所」。ホラーというか不思議な世界観に惹き込まれます。そして名古屋学芸大学の江口詩帆さん「ガラス男の恋」。こちらも独特な作品です。*
高校の文化祭用に池田大輝さんが制作した「こくせん  黒板戦争」というピクシレーションも話題になりました。
*卒業制作は発表のあった卒業・修了制作展基準に書いていますので、実制作年がずれる場合もあります。

コマーシャルではヤクルトミルミル「ミルミルタウン・飲んでる」「ミルミルタウン・パパのおなか」を伊藤有壱さんが監督。アニメーターは峰岸裕和さん、オカダシゲルさんと、こぐまあつこさんと、私もやりました。

加えて、中村誠さんが3話構成で60分の「チェブラーシカ」を制作しました。ロシアの国民的人気のアニメーションを改めて日韓露3カ国のスタッフで作り上げた作品です。
これは個人的な話ですが、この年以前に韓国に行った際に、現地のアニメーション関係者から韓国ではコマ撮りが盛んではないと何度か聞かされていたので、この作品のアニメーターが韓国の方であることを知った時に話が違うと思ったものです。
「チェブラーシカ」に関連した話で言うと、この年の7月に神奈川県葉山にある神奈川県立近代美術館でユーリ・ノルシュテイン展が開催されました。ノルシュテインさんはロシアの高名なアニメーション監督ですが、若き日には「チェブラーシカ」監督のロマン・カチャーノフさんの現場で働いていた経験があります。

そして、ノルシュテインさんがその現場にいた時にロシアのスタジオを訪問した事もある川本喜八郎さんが8月23日に85歳で亡くなりました。川本さんの数々の短編アニメーションは国内外で高い評価を受けており、日本の人形アニメーションを海外に知らしめた作家でもあると思います。また「三国志」など人形劇の人形制作でも知られる人形美術家でもありました。何より1953年に持永只仁さんの最初の教え子として人形アニメーションを学んだ点で、日本の人形アニメーション第一世代を代表する方でした。亡くなられる直前まで精力的に働かれており、最後の仕事となった三国志の人形は現在渋谷ヒカリエのギャラリーに展示されています。また長野県飯田市には川本喜八郎人形美術館があります。
*川本先生と直接の最後の仕事はその8月に行われた広島国際アニメーションフェスティバルの人形展示でした。準備はどうなっているか尋ねられ、大丈夫ですと答えたところ「そんな簡単なものではありません」とピシャリと言われたのをすごく覚えています。
ノルシュテイン展にも足を運ばれており、その日はちょうど日本アニメーション協会の総会の日でしたが急遽欠席。皆が「どこだどこだ」となっていたことを後で話すと笑っていました。亡くなられたのはそれからほんの1ヶ月ほど後のことでした。

2011
東日本大震災が起きた年です。その頃に私も撮影に関わっていたのが、伊藤有壱さんの「ハーバーテイル」でした。
「ハーバーテイル」はネオ・クラフト・アニメーションと称した伊藤さんのアナログとデジタルを組み合わせた独自の手法で製作された作品です。2012年にはこの作品を本にした「ハーバーテイル〜みなとのひとかけのレンガのはなし〜」が出版されています。
NHKからはまた変わった作品が登場。「デザインあ 解散!」。アート・ディレクターの岡崎智弘さんによる様々なものが細分化して解散していくアニメーションには衝撃がありました。撮影に携わった宇賀神光佑さんは現在ご自身でもアニメーションを作られる一方、撮影のエキスパートとして活躍されています。
MVでは島田大介さんの「君と羊と青」(曲:RADWIMPS)が実験系とも言える作品でした。

書籍では竹内泰人さんが「つくろう!コマ撮りアニメ」を書きました。

さて、学校からの作品ではアート・アニメーションのちいさな学校の川平美緒さんと吉川さゆりさんによる「ざりがに」水の表現素晴らしかったです。あとはワタナベサオリさんの卒業制作「クノフリーク-小さい大きな贈りもの-」。東京藝術大学大学院からは告畑綾さんの「今村商店 」という作品もありました。同じく東京藝術大学大学院の修了制作として秦俊子さんが「さまよう心臓」を発表。これ怖い作品でした。
多摩美術大学大学院では飯田萌さんのカットアウト作品「臓器大学」がありました。不思議な世界観です。
直接的に学校の作品ではありませんが、デジタルスタジアムから内容と名前が変わったデジスタティーンズで紹介された中内友紀恵さん若井麻奈美さん他合計5人による、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんのビジュアル系バンド『jealkb』の楽曲「make magic」のMV(番組内企画で制作された作品)が極めて良く出来ていました。中内さん、若井さんは現在でもアニメーションなどの分野で活躍中です。

もう一つ、学校に関連した事では、震災の1ヶ月前に多摩美術大学の片山雅博さんが56歳の若さで亡くなられました。数多くの学生をアニメーションの世界に引き込み、育て、鼓舞し、時に怒り、そして褒める。多摩美術大学教授、日本アニメーション協会事務局長、日本漫画家協会事務局長などの肩書き以上にとにかく大きな存在感で場を作る方でした。
片山さんの逝去に伴い、多摩美術大学グラフィックデザイン学科のアニメーションはこの年の4月から野村辰寿さんに引き継がれていくことになりました。野村さんは1996年の項で紹介した「ジャム・ザ・ハウスネイル」の作者ですが、『(株)ロボットの「ROBOT CAGE」』で加藤久仁生さん、坂井治さん、稲葉卓也さんたちをはじめ多くのアニメーション作家の育成を(結果的に)行われていました。「ジャム〜」の現場には私も“シート番”で参加していましたが、野村さん、キムラヒデキさん、造形家の宮崎秀人さんのチームワークに私も育てられたと思っています。
*この年の1年間は私も多摩美術大学で非常勤講師として、野村さんとは別日の授業を担当。その4年生の中に後にコマ撮り界で活躍する小川育さんがいましたが、卒業制作はコマ撮りではありませんでした。
*多摩美術大学の公式に飯田萌さんの「臓器大学」が修了制作とありますが、修了制作は「ミラクルシェイプ・パラダイス」という別の作品です。

2012
NHKで「ふしぎのヤッポ島~プキプキとポイ」という作品が作られます。アニメーターとして浅野優子さん、いわつき育子さん、船本恵太さん、三宅敦子さん、石井寿和さん。
みんなのうたでは秦俊子さんの「ヤミヤミ」(歌:やくしまるえつこ)。
テレビ神奈川からは伊藤有壱さんの「ドロンコロン」。アニメーターはいわつき育子さん、おーのもときさん、早船将人さん、あと私も関わっています。
短編では、後に『TECARAT』で数々の作品を産み出す八代健志さんが「11月うまれの男の子のために。」を制作。
澤田裕太郎さんによる「ポーラーサークル」第1回企画「奴との遭遇」という作品もありました。

2010年の段で紹介した「KOMAKOMA」のiPad版が登場したのがこの年です。iPadで撮影というスタイルが選択肢に入ってきます。「Dragon Stopmotion」も「Dragonframe」に変わりました。
変わったところでは、人型入力デバイス『QUMARION』というものが『(株)セルシス』から紹介されました。かつてジュラシックパークで使われた恐竜型の「Dinosaur Input Device」のように、付属の人形を動かすとそれがパソコン上に取り込まれてCGアニメーションが作れるというようなものでした。
他にも「フランケンウィー」(監督:ティム・バートン)の公開に合わせて人形展が新宿で開催され、人形の機構などが写真に撮影し放題という、コマ撮り関係者にとっては大喜びの企画展もありました。
加えてこれまでもオカダシゲルさんや仁藤潤さんがコマ撮り関係者の集いを行ってこられましたが、井上仁行さん(パンタグラフ)が5月にコマ撮り会議という催しを開催。竹内泰人さん、澤田裕太郎さん、オカダシゲルさん、宮島由布子さん、青木純さんと私が登壇者をやりました。コマ撮り関係者間での情報交換に飢えるという感覚が定期的に湧いていると感じます、それは多分今現在でも。
*自分自身の記録のためですが、この年の12月の仁藤さんの集いでワタナベサオリさんやていえぬさんとご一緒させてもらっています。
別の会の可能性もありますが、パンタグラフの集いには「JUNK HEAD」に参加された牧野謙さんも人形を持参していました。

2013
八代健志さんの「ノーマン・ザ・スノーマン~北の国のオーロラ~」が完成。プラネタリウムで上映という形は公開の新しい形だなと感じました。八代さんは東邦ガスの「薪とカンタとじいじいと。」という15分の作品も制作しており、これは今でも東邦ガスのガスエネルギー館で見られるようです。

次にNHK関係です。プチプチアニメでは真賀里文子さんの「森の人と小てんぐちゃん」を放送。みんなのうたでは潮永光生さん(Qmotri)の「いのちの記憶(歌:ZABADAK)もありました。加えて、NHKが放送した変わった作品では日伊合作と言いますか、イタリアのミッセーリ・スタジオが手掛けた「うさぎのモフィ」という作品もありました。

さて、短編アニメーションでは鋤柄真希子さん、松村康平さんの作品「カラスの涙」。そして震災から3年目のこの年に合田経郎さん(dwarf)が『3.11東日本大震災チャリティ・プロジェクト「ZAPUNI」Sade×Tsuneo Goda “By Your Side”』を発表しました。
竹内泰人さんがカモ井加工紙本社・第二撹拌工場で行った参加型作品「黄色いネコと不思議なカバン」は大掛かりな作品でした。
加えて、堀貴秀さんの「JUNK HEAD」を知ったのはこの年でした。実際の制作はもっと前(2009年)からだそうですが、この年に「JUNK HEAD1」が完成。アップリンク渋谷で1日上映が行われました。翌14年にネットで一部公開があり、クラウドファウンディングもあり、すごく記憶に残っていました。そこからどうなったのだろうと思っていたのですが、その結果が出たのは2020年でした。
さらに短編は短編でもネット発信の作品として、Rihito Ueさんの「CYMBAL MONKEY StopMotion踊る!!シンバル猿!」を見た時に技術的にとても気になりました。Rihito Ueさんは現在でも室内を舞台にしたガンダムやガメラなどのコマ撮り作品をYouTubeで発表し続けています。

学生作品の中から挙げると東京藝術大学大学院の川口恵里さん「底なしウインナー」が不思議な視点で魅力的な作品でした。
アート・アニメーションのちいさな学校の板垣郁美さん、今浦里美さん、近藤翔さん、地場賢太郎さん、米丸香さんによる「人でなしの恋」という作品もありました。
加えてコマーシャルでは新井風愉さんが監督し、おーのもときさんがアニメーターを務めたネピアのブランディングムービー「Tissue Animalsが繊細な動きで素晴らしかったです。このCMはアヌシーの広告部門で受賞しています。新井さんは三井不動産の「1347 smilesー ほっこり通信 Web CM ー」も制作。こちらはピクシレーションですが表現に少し捻りがあります。
そして厳密にはコマ撮りではありませんが、MVからは川村真司さんの手掛けたLife is Music」(曲:SOUR)という“おどろき盤”を使った作品が現れました。

2014
アート・アニメーションのちいさな学校で学んだ高野真さんと小田文子さんによるユニット『moogaboogaがNHKプチプチアニメで「モノだらけ!」を制作しました。
加えて、みんなのうたでも「ぎんなん楽団カルテット」(歌:高橋克実とチャラン・ポ・ランタン)を制作しています。
そのちいさな学校からは小中紗洋子さん、横山友祐さん、安田陽太さんの「赤い蝋燭と人魚」がICAF2014で観客賞の1作に選ばれました。加えて、ちいさな学校の校長、真賀里文子さんが1979年に携わった「くるみ割り人形」(監督:中村武雄さん)が増田セバスチャンさんによるデジタル化(と言えばいいのでしょうか)されたバージョンの公開がこの年にありました。

東京藝術大学大学院の当真一茂さん(東京藝大)パモン」はフェルトの表現が優しい。当真さんは後に合同会社UchuPeopleを設立します。同じく藝大から宮澤真里さんの「Decorations」が華々しく登場。お弁当アーティスト(キャラ弁)の第一人者の宮澤さんがコマ撮り書いに新風を吹き込みました。
その宮澤さんを指導した伊藤有壱さんは「ハーバーテイル」の第2弾「ブルーアイズ・イン・ハーバーテイル」を完成させました。こちらも「こまねこ」のように撮影現場を公開する展示を行っています。

「キユーピー3分クッキング」のオープニングとエンディングを飾る「キユーピーとヤサイな仲間たち」の滑らかなアニメーションはすごいの一言。人形もとても綺麗に出来ています。9日間で撮影したそうですが、逆によく9日間で終わったなと思います。制作は『dwarf』で、アニメーターは根岸純子さん。

2015
八代健志さんの「眠れない夜の月」が完成。そして人形アニメーションの制作スタジオ『TECARAT設立がありました。
長編作品では実写とアニメーションが混ざり合った「Present For You(監督:臺佳彦)が完成。ここには大石拓郎さんや垣内由加利さん、井上美さんなどがアニメーターや造形で参加されています。同じく長編の中村誠さんの「ちえりとチェリー」完成もこの年。
NHKプチプチアニメからは先出の宮澤真里さんの「こにぎりくん」、はしもとまさむさんの「ビーズの森のらびぃやたみほさんの「けいとのようせいニットとウール」。宮澤さんは(フェイクですが)食べ物をモチーフに、はしもとさんはビーズ、やたさんは編み物を駆使したアニメーションと、素材の面白さが光ります。2013年には長寿番組「笑っていいとも!」でやたさんの作品が紹介されていました。合わせて、小岩洋貴(コイワシ)さんの「おいどんと」という作品もありました。
みんなのうたでは秦俊子さんが「とりあえずタマで。」(歌:Asu)を制作。

民放からは『dwarf』が手掛けた「おそ松さん」のエンディングも話題になりました。1期のアニメーターは根岸純子さん、2期(2016年)はおーのもときさん。3期以降も『dwarf』。
さらに、厳密にはコマ撮りアニメーションではありませんが、井上仁行さん(パンタグラフ)が動きのカガク展で「ストロボの雨をあるく」他を発表。モーション分度器を購入した記憶があります。
『dwarf』作品のデータは2023年発売の「ドワーフアートワーク」に細かく掲載されています。

学生作品ではやはり東京藝術大学大学院とアート・アニメーションのちいさな学校が目立ちます。幸洋子さん(東京藝大)ズドラーストヴィチェ!」は色々な技法をミックスした楽しい作品。坂上直さん(東京藝大)その家の名前」は実際の家の取り壊しをコマ撮りしていく作品。武田浩平さん(東京藝大)Helleborus Niger」は人形の造形と美術が独特で、画面の色彩が東欧のアニメーションを彷彿とさせました。さらに一橋建太朗さん、小川翔太さん、薮下荘さん(ちいさな学校)「星になった龍の牙」、中村誠さん、加藤郁夫さん、小中紗洋子さん、荒裕美さん(ちいさな学校)「道化師と青い花」。この作品の中村さんは「ちえりとチェリー」の中村監督です。
武蔵野美術大学からながしまたいがさんの「月のかえる」。
そして同じく武蔵野美術大学あぶない!クルレリーナちゃん」がICAF2015で上映されました。制作したのは見里朝希さんです。

短編作品からは村田朋泰さんが「木ノ花ノ咲クヤ森」を発表。本当に多作の方です。
寝ている赤ちゃんをコマ撮りした若見ありささんの「blessing0-5」は優しい気持ちになります。
不思議な表現で言うと、折笠良さんの「水準原点」という、永遠にうねりを描き続ける独特なクレイアニメーションに圧倒されました。
もう一つ、驚きがあったのが「デザインあ」岡崎智弘さんによる「1/100 SHIBUYA Crossing」。渋谷スクランブル交差点の人の移動をテラダモケイのペーパーモデルでやる緻密さには、これはただただ大変だという感想しかありませんでした。すごかった。
さらに動画サイトで気になったのが亀井(plamo)さんの「ビデオチップス」。これよりだいぶ前からフィギュアを用いて滑らかなコマ撮り作品を発表されていましたが、フレーム補完をしたアニメーションというところが目に留まりました。

ついでにアニメーションに関する周辺領域でいうと、現在でも継続している情報サイト「tampen.jpが2014年に開設されました。そしてこの2015年に気になったのは桑畑かほるさんの記事。アメリカで活躍するアニメーション作家という紹介でしたが、桑畑さんは数年後に大きな注目を浴びることになります。*初代・久保亜美香さんから引き継いで現在は田中大裕さんが編集長を務めています。

<2010年代半に関して>
コマ撮り界隈全体で言うと、誰もがコマ撮りにチャレンジ出来る時代の到来であり、見る側から作ってみる側への転換が進み出した時期だと思います。普段コマ撮りの仕事を専門的にやってない方が時間をかけてコツコツ作ったり、斬新なアイデアで作品をどんどん動画サイトに発表するようになり、個人作家の垣根が大きく崩れた事で短編アニメーションの単純な分別が不可能になっていきました。既存の作品の模倣から始めた人が徐々にオリジナリティに目覚めたり、作ることが純粋に楽しいと感じた人も多くなっていったのではないかと思います。
アニメーション作家とは何か?という時代になったと、個人的には思います。
そして作品の作り方の情報を共有したいとか、仲間を見つけたいという欲求は強く渦巻いていたように思います。ただし(個人的にはみなさん上手くやられていたように感じていたのですが)集まっての催しがなかなか継続せず、忸怩たる想いを感じている方もいらっしゃるようです。

学生作品では主に東京藝大大学院とアート・アニメーションのちいさな学校の作品のクオリティがどんどん高くなっていったと思います。逆にいうと学校教育でアニメーションが作られる事が普通になってきた事で、他校の作品がやや伸び悩みの状態になってきたのかもしれません。
その一方で、これまで長く仕事や制作を続けていた方も自主作品を作り続けていましたし、個人事業主として活動していた人などが起業(法人化)することも少しずつ増えていきました。そして、それにより大きな仕事が受けられるようになったのではないかと思います。しかしその分、スタッフ集めが大変になっていったのではないかと...。
仕事の規模は大きくなってもアニメーターのみならず造形制作系の人材育成が追いつかず、その影響が2010年代後半の5年間で出てきた気がします。

技術革新で言うと2010年頃から3Dプリンターが個人使用され始めた事ではないかと思います。最初は業者にデータを出力してもらうような事もありましたが、徐々に自宅やスタジオで購入して活用する人が現れました。調べるとやはり2010年から11年頃に大きく広まったようです。2012年の春にアメリカに行く機会があり、あるスタジオで制作中だったコマ撮り作品の人形やセットを見る事が出来ました。その時に「家具類などは全て3Dプリンターで出力したこれからは3Dプリンターが必須だ」というような説明を受けました。そして現場が全て「Dragonframe」だったのも印象的でした。

さて、個人的には川本喜八郎さんが亡くなったことが2010年代前半の最も大きな事でした。直接のつながりは晩年の短い期間ではありましたが、最後になった渋谷用の人形制作の仕事を含めて、人形展示の仕事などで高頻度でアトリエお邪魔していたため色々なお話を聞く機会があったにも関わらず、亡くなられる直前までお元気だった事もあってしっかりインタビューのような形で記録を残さなかった事が非常に強い後悔になりました。研究者ではないのにこういう過去のコマ撮りの歴史をメモしておこうと思ったのはそれが大きな原因です。
ついでに。川本喜八郎さんがチェコに留学してトルンカを訪ねた1960年代の日記を書籍化した「チェコ手紙&チェコ日記―人形アニメーションへの旅/魂を求めて」が2015年に発売されました。若き日の川本さんが創作について悩み葛藤する様+ヨーロッパのスタジオ事情+チェコ旅行が詰まった一冊。
川本プロダクションの仕事を支えたのは浪花洽子さん、馬場弘さん、落合恵美子さん。このお三方が本当に要でした。そして現在の代表である福迫福義さん。